ガールズグループデビューサバイバル番組「No No Girls」(通称:ノノガ)から、ついに誕生したグループ「HANA」。
その中で唯一の韓国出身メンバーとして個性を発揮しているJISOO(ジス)さん。
韓国出身ながら流暢な日本語を操り、オーディション時からその唯一無二の歌声と可愛らしい存在感で、2次審査から早速ファンを獲得していました。
審査員であるちゃんみなさんに「とにかくズルいくらい声がいい!」と言わしめたJISOOさんですが、韓国の大手芸能事務所でスキルを磨いた過去があります。
しかし、年齢の壁、完璧主義の性格や、自信の喪失で一度は音楽の夢を諦めかけるなど、決して順風満帆ではなかったようです…。
この記事では、HANAのメンバーとして新たなスタートを切ったJISOOさんの経歴や人となりを、最新インタビューの内容も交えながら、改めて紐解いていきたいと思います!
JISOO(ジス/HANA)のプロフィール完全まとめ
JISOO(ジス/HANA)のプロフィール完全まとめについてご紹介します。
それでは順番に見ていきましょう!
①活動名・本名・読み方
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生年月日2000年9月8日24
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出身韓国 仁川(インチョン)広域市
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MBTIENFJ(主人公型)
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趣味トップライニング(メロディーと歌詞制作)、言語学習
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特技アニメを見ること、ホームレコーディング
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好きな食べ物ベーコンポテトピザ(チーズクラスト必須!)、白米+キムチ、チョコレートビスケット
JISOO(ジス)という活動名は、多くのK-POPファンには馴染みがある名前かもしれません。
本名については公式には公開されていませんが、読み方は「ジス」で、韓国語では지수(Jisoo)と書かれることが多いです。
BLACKPINKのジスと混同されがちですが、まったくの別人です。
メンバーやファンからも「JISOO(ジス)」と親しみを込めて呼ばれることが多いようです。
②年齢・生年月日・出身地
JISOOは韓国出身で、2000年9月8日生まれで現在24歳 (※2025年5月時点)
HANAの中では最年長メンバーになります。
シルバーヘアでショートカットになったJISOO(ジス)さんは、今まで以上に可愛さもカッコよさも爆発していて、年齢も性別も超越した唯一無二の魅力を感じさせます。
他のHANAメンバーの中でもひと際目を惹く存在感がありますよね!
(筆者の家族も初めてHANAをパフォーマンスを見た際には、みんな“このショートの子可愛い!”って言っていました!)
そのため、JISOO(ジス)さんの年齢は初見の人には特に気になるようで、「JISOO 年齢 ノノガ」といった検索も増えています。
韓国で音楽活動をしていた頃からの積み重ねもあり、英語・日本語も流暢に話し、年齢以上の成熟した精神性と経験値を感じさせる表現力が持ち味です。
K-POPアイドル輩出の地、仁川出身
JISOO(ジス)さんは韓国の仁川(インチョン)出身。
仁川(インチョン)は、韓国の空の玄関口として知られるだけでなく、NewJeansのヘインさん、元GFRIENDのユジュさん、SF9のジュホさんなど、数多くの人気K-POPアイドルを輩出している街でもあります。
ソウルへのアクセスも良く、芸能活動を目指す若者にとっては恵まれた環境と言えるかもしれませんね。
ヘイン(NewJeans)
ユジュ(元GFRIEND)
ジュホ(SF9)
ソンジェ(BTOB)
スルギ(Red Velvet) など
③HANA(ノノガ)とはどんなグループ?
HANAは、SKY-HI率いるBMSGとちゃんみなが手掛けた「No No Girls(ノノガ)」オーディションから誕生したガールズグループです。
今まで「No(否定)」を突きつけられてきた人々が自分らしさを貫くことをコンセプトにしており、JISOO(ジス)を含む7人のメンバーが所属しています。
HANAの特徴は、歌唱力やダンスの実力だけでなく、メンバーそれぞれのバックグラウンドと内面の強さ。
JISOO(ジス)さんはその中でも“年齢の壁” “心の葛藤”を抱えていたメンバーです。
韓国の大手事務所で練習生としてレッスンを受けていた中で、様々な理由でデビューすることができずに20代に。
10代でデビューが当たり前の韓国では、デビューの道が閉ざされたのでした。
JISOOは元YG練習生だった?噂と真実を探る
ここでは、ファンの間でも議論が絶えない「JISOOさん=元YG練習生説」について、掘り下げていきます。
①元YG所属の噂が出たきっかけ
JISOOさんが「元YG練習生だったのでは?」という噂が広まったのは、主にオーディション番組「No No Girls」での言動がきっかけです。
韓国で2年間の練習生活をしていたという発言と、JISOO(ジス)さんの発声や表現のレベルの高さなど、「YG節」と言われるYGエンターテインメント出身の他アーティストと重なると感じた視聴者も多くいました。
YGは、所属する練習生をアーティストとしてしっかり育てる方針があります。
個性とカリスマ性を引き出し、自己プロデュース能力を身に着けることを重要視するボーカルやラップのトレーニングに独自の傾向があるとされています。
特に発声の鍛え方には特徴があり、ラップも英語を含めて本格的な指導を受けるのが特徴です。
その影響で、YG出身の練習生には独特の“クセ”のようなものが現れることが多く、K-POPファンの間では「YG声」や「YG節」といわれることもあります。
JISOO(ジス)さんにも、そういったエッジの効いた歌い方の特徴が見られますし、ラップのリズム感や間の取り方、英語の発音も素晴らしくキレイですよね。
また、オーディション中に披露したボーカルや表情管理の精度からも、「ただの無名から来た人とは思えない」といったコメントがSNSに多数投稿されました。
しかし、正式にYG所属であったかどうかは発表がされていないのが現状です。
②YG練習生の特徴とJISOOの共通点
YGエンターテインメントの練習生に共通して見られる特徴として、まず挙げられるのが「表現力の高さ」と「個性を重視したスタイル」です。
JISOO(ジス)さんもまさにその両方を兼ね備えていますよね。
とくに「自分の歌声に納得するまでテイクを重ねる」「完璧でなければ納得できない」「今までそうやってきた」といった発言や姿勢は、YG出身者に多く見られる精神性と重なります。
自社内にTEDDY PARK率いるTHEBLACKLABELなど有力なプロデューサー陣が所属していて、クオリティの高い楽曲制作力を身に着けるトレーニングを行っているのもYGの特徴。
練習生時代に感じていた苦悩や、自分に対して厳しすぎるくらいの完璧主義も、YGの育成方針と一致している部分です。
モデルプレスのインタビューでJISOO(ジス)さんは、「憧れていた事務所に所属していたが、自分が見えなくなって辞めた」と語っています。
事務所名こそ伏せていますが、この「憧れていた事務所」がYGを示しているのでは?という考察が多く見られます。
③公式発表は?あえて語らない理由
これまで、B-RAVEやJISOOさん本人から「元YG」という言葉が明言されたことはありません。
特に公表する必要性がない部分ではありますが、あえて意図的に語られていない可能性も考えられます。
所属していた事務所との契約問題や、ブランドイメージの観点から、過去の経歴に触れない方が無難なケースはK-POP業界ではよくあります。
HANAを輩出したオーディション番組「No No Girls」自体が、過去にNOを突きつけられて自分自身を肯定できない子たちを集めたもの。
過去を明確に掘り起こすよりも、その経験から這い上がってきた“今とこれから”が大事だという、ちゃんみなさん始め、運営側の判断なのかもしれませんね。
ジスの練習生時代|韓国からオーディション挑戦まで
ここではJISOO(ジス)さんが17歳で練習生になった当時から、日本で「No No Girls」のオーディションに挑戦するまでの道のりを、時系列でまとめていきます。
①何歳から練習を始めたのか
JISOO(ジス)さんが韓国で練習生としての活動を始めたのは、17歳のときでした。
これは、「No No Girls」のオーディション番組内でも明らかにされており、韓国の芸能事務所に所属して約2年間、本格的に歌やダンスのレッスンを積んでいたそうです。
当時から「音楽で生きていきたい」という強い意志を持っていたJISOO(ジス)さん。
10代後半からのスタートだったこともあり、同期の中では年齢的に少し高めだった可能性もありますが、それでも夢に向かって努力を重ねていたことが伝わってきます。
デビューを目指す中で、毎日が真剣勝負だったことは想像できますよね。
②2年間の練習生生活
JISOO(ジス)さんは、練習生時代にボーカル、ダンス、ラップ、発声、語学といった多彩な分野のトレーニングを受けていました。
音楽に対する情熱と、成長への渇望が強すぎて、常に自分に厳しくなってしまうタイプだったJISOO(ジス)さん。
そのストイックさと完璧主義な一面は、「No No Girls」レコーディングで泣き出してしまった場面でも、垣間見れましたよね。
JISOO(ジス)さんは「練習を続けるうちに、だんだん自分自身が分からなくなっていった」と葛藤し、事務所を辞めることにしたといいます。
通常韓国でK-POPアイドルを目指す練習生は、月末評価と言われる月に1回の審査で契約を継続できるかが決まります。
事務所側から契約解除を言われた訳ではなく自分から申し出たところから見ても、JISOO(ジス)さんの実力面では問題なかったと読み取れますよね。
③オーディション挑戦と進路の模索
事務所を退所した後も、JISOOさんは何度かオーディションに挑戦しています。
合格をもらったこともあったそうですが、「まだ自分が完成していない」と感じて辞退することもあったといいます。
この頃は、自分自身をまだ信じきれていなかった時期だったようで、どこかに“本当の自分を見つけたい”という想いがあったのかもしれませんね。
オーディションへの挑戦は、失敗だけでなく“成長するための経験”として、JISOO(ジス)さんの中に蓄積されていきましたが、自分の中で「完璧な理想の自分」の呪縛からは逃れられていなかったようです。
そんな日々が続いて、気づけば数年の月日が流れていました。
「現在23歳で、韓国では年齢的に遅いということでNOを突き付けられてきた」
と、ノノガのインタビューでJISOO(ジス)さんも語っていましたが、K-POPは10代半ばから後半にデビューすることが多く、遅くても20歳~21歳というイメージ。
韓国国内でのデビューは、非現実的になっていました。
④日本挑戦という転機
韓国での活動を経て、JISOO(ジス)さんが大きな転機を迎えるのが、日本の「No No Girls」オーディションへの参加でした。
きっかけは2024年、偶然オーディション情報を見かけたこと。
「他の国に行けば、新しい自分に出会えるかもしれない」と感じたJISOOさんは、日本に渡って挑戦を決意しました。
異国での挑戦には不安も多かったはずですが、これまでの経験が「もう一度だけ、自分を信じてみよう」と背中を押してくれたのかもしれません。
この時点でのJISOO(ジス)さんは、“結果を出すことよりも、もう一度音楽を愛したい”という気持ちにシフトしていたようにも感じられます。
その心の変化と回復については、次で詳しくご紹介します。
JISOOが語った“心の不調”と回復のきっかけ
前章ではJISOO(ジス)さんの練習生としての経歴をご紹介しましたが、ここではその裏にあった“心の戦い”に注目していきます。
どれだけ努力を重ねても、心がついてこない。そんな葛藤を乗り越えてきたJISOO(ジス)さんの姿を、丁寧に追っていきます。
①音楽を「楽しめなかった」本当の理由
JISOOさんは、音楽が大好きだったにもかかわらず、「一度も心から楽しんで歌えたことがなかった」と語っています。
その理由は明確で、「もっと上手くなりたい」「もっと完璧に歌いたい」と強く願うあまり、いつの間にか“楽しむ”という感覚を手放してしまっていたから。
好きで始めた音楽なのに、いつしか義務やプレッシャーになってしまっていた──そんな状況が、長く続いていたそうです。
誰かから何かを強要されたわけではなく、自分の中から湧いてくる“理想像”が、自分自身を縛っていたことが原因でした。
「自分を信じるより先に、自分にダメ出しをしていた」と語るJISOOさんの言葉には、当時の辛さが滲んでいますよね。
②完璧主義と自己否定のスパイラル
練習生時代、JISOOさんは誰よりも完璧を求めていたと言います。
納得いくまで何度も録り直し、パフォーマンスでも「100点じゃなければ意味がない」と思い詰めていたそうです。
でも、理想に届かないたびに「自分はダメだ」と否定してしまい、どんどん心のバランスが崩れていきました。
2023年には心の調子が限界まで悪化し、音楽から離れることすら考えたほど。
完璧を追い求めるがゆえに、自分自身を苦しめてしまう──これは、頑張りすぎてしまう人なら誰しも共感できる悩みかもしれません。
「No No Girls」の番組内でも、JISOOさんはレコーディング時、プロデューサーのちゃんみなさんがOKを出しているにも関わらず、どこか納得いっていない様子を見せていました。
その後泣き出してしまい、ちゃんみなさんと韓国語でじっくりと話し、自分の気持ちを出し切って再度レコーディングに戻るJISOOさんの完璧主義な一面が垣間見れました。
NAOKOさんとJISOOさんは、常に課題に対して不足なくクリアしていたイメージだったので、驚いてとても印象に残っています。
しかし考えてみれば、母国語が通じない上に調和を重んじる日本文化の中で、
「みんなが“OK”と言っている言葉を覆して自分の納得いかない気持ちを出していいものか」
「それでも、もっとクオリティーの高い自信を持って出せるものを作りたい」
という気持ちで葛藤していたのだと思います。
周りのことを人一倍考えるJISOO(ジス)さんは、自分のレコーディング時間が大幅に伸びて、周囲を拘束してしまうことも考えたかもしれません。
このシーンは、等身大のJISOOさんが見られてめちゃくちゃグッときたのを覚えています。
③NYでの気づきがもたらした心の自由
そんなJISOO(ジス)さんを救ったのは、ニューヨークへのひとり旅でした。
現地で暮らす友人に会いに行ったJISOO(ジス)さんは、街を歩きながらふと気づいたのだそうです。
「誰も私のことなんて気にしていない」。
歌いながら歩いていても、誰も振り返らない。その自由さと、他人の目から解き放たれた感覚が、JISOO(ジス)さんの心に大きな変化をもたらしました。
“もっと自由でいいんだ”“好きなようにやっていいんだ”と感じられたことで、また一歩、自分らしさを取り戻すことができたのです。
④「私はNot OK」でよかった──歌うことで変わった心
「No No Girls」の最終審査で課題となった曲「I’m Not OK」。
この楽曲は、JISOOさん自身の気持ちと強くリンクしていたと言います。
特にサビのフレーズ「I’m Not OK」は、それまで“自分の弱さを見せてはいけない”と思っていたJISOOさんにとって、大きな意味を持つものでした。
「私は大丈夫」と無理に言い聞かせていた過去を手放し、「OKじゃなくてもいい」と認めることで、“初めて自分を許せた”のだと語っています。
そこからのJISOOさんは、表情にも歌声にも明らかな変化が現れ、「本当に楽しそうに歌っていた」と多くの視聴者の心を動かしました。
音楽を“武器”ではなく、“心を表す手段”として使えるようになったその瞬間こそが、真のスタートラインだったのかもしれません。
K-POPアイドルに立ちはだかる年齢の壁とは
先ほどから何度か話題に出てきましたが、K-POPアイドルとしてデビューしようと思ったら、“年齢”という現実の壁は避けて通れないテーマです。
JISOOさんも、その現実との葛藤と真正面から向き合ってきました。
①K-POP業界の平均デビュー年齢は?
K-POP業界では、アイドルの平均デビュー年齢はおよそ16〜19歳と言われています。
10代前半から練習生として活動を開始し、高校生のうちにステージデビューするケースが主流です。
たとえば、TWICEのSanaは18歳でデビュー、BLACKPINKのJennieは16歳から練習生としてスタートしています。
このように「若ければ若いほど可能性がある」という空気が強く、練習生の年齢が上がるほど、チャンスは狭まっていくとされます。
この現実があるからこそ、JISOOさんの挑戦は多くの人の共感を呼んでいるのです。
②「もう遅い」と言われる風潮
JISOOさんは、年齢を理由に「NO」と言われた経験があると語っています。
韓国で活動していた時期には、「もうその年齢では厳しい」といった雰囲気があったことをインタビューで明かしています。
本人の実力や熱意とは無関係に、年齢が“足切り”の要素になるという現実に、多くの練習生が挫折を感じています。
しかも、周囲の期待や同年代との差に苦しみ、「自分にはもうチャンスがないのかもしれない」と感じてしまうことも少なくありません。
こうした状況はK-POP界の大きな課題でもあり、JISOOさんのような挑戦者の存在が“年齢の固定観念”に風穴をあけています。
③年齢を乗り越えたアイドルたち
実は、年齢の壁を越えて成功したK-POPアイドルも少数ながら存在しています。
たとえば、MAMAMOOのSolarは23歳でデビュー、Brave Girlsのメンバーも20代後半で再ブレイクを果たしました。
こうした事例は、「年齢=限界」ではないことを証明しています。
重要なのは“年齢”ではなく、“その時の完成度”や“どれだけ人を魅了できるか”という本質的な部分。
JISOOさんも、この流れに乗るように、年齢のハードルを超えて新しい自分を見せてくれています。
④HANAで再起を果たしたジスの意志
JISOOさんは、年齢という現実に苦しみながらも、HANAという舞台で“再挑戦”の道を選びました。
「できるまでやればできる」と語るJISOOさんの姿勢には、迷いや不安を抱えるすべての人へのメッセージが込められています。
No No Girls最終審査では、「心から歌う」姿を見せ、過去の“抑圧された表現”を乗り越えました。
年齢を武器にするのではなく、「自分の歴史」を持つ強みとして変換していったその姿勢に、多くの視聴者が感動しています。
世間的には“遅咲き”といわれてしまうのかもしれませんが、JISOOさんの高みを目指しつづけた努力と自分を愛して認めてあげられる自己肯定力が、HANAの一員として輝ける一歩となったんですね。
“できるまでやればできる”JISOOが信じた言葉
JISOOさんの言葉には、夢をあきらめそうになっている誰かの背中を押す力がありますよね。
“できるまでやればできる”JISOOが信じた言葉に焦点を当ててご紹介します。
①何度でも立ち上がる力
JISOOさんは、自分について「私は何回倒れてもまた立ち上がる力を持っている」と語っています。
どれだけ心が折れそうになっても、必ずもう一度やろうと思える――この“しなやかさ”こそが、JISOOさんの最大の武器です。
2023年には音楽をやめようと考えたこともあったそうですが、それでも立ち止まらずに前に進み続けた理由は「音楽が本当に好きだから」でした。
“できるまでやればできる”というシンプルで力強い信念は、JISOOさんが自身の弱さを受け入れ、乗り越えてきた証でもあります。
あまりにもストイックに自分自分を見つめすぎて、自分が何者かも分からなくなっていたにも関わらず、音楽を諦めずに違う国に渡ってまでも挑戦を続けたJISOOさんの不屈の精神は、本当に真似できないですよね。
その裏には「ちゃんみなさんの元でなら自分らしくいられるかも」という信頼感があったのかもしれません。
②支えてくれたNAOKOとの絆
日本での練習期間中、JISOOさんは単身で来日し、慣れない環境での生活に心が折れそうになることもありました。
そんな中、心の支えとなったのが、同じくメンバーであるNAOKOさんの存在です。
一緒にご飯を作って食べたり、海を見に行ったり――その時間がJISOOさんにとって、どれほど癒しだったかは本人の言葉からもよく伝わってきます。
「1人じゃなくて本当によかった」と何度も言い合ったというエピソードには、深い絆を感じずにはいられません。
オーディション中に、単身で来日したJISOOさんを心配したJISOOさんのお母さんが、滞在先のマンションに訪ねてきて、おふくろの味である「キンパ」をふるまっていたシーンがありました。
「NAOKOに支えられている」と母親に話しながら、JISOOさんとNAOKOさんが並んでキンパを食べている姿を見て、筆者も心から「良かったねぇ」とじんわりしました。
HANAのデビューシングルである「ROSE」のパフォーマンスの中でも、ステージ中央に倒れ込んで、
咲いた 花 泥だらけでも I can’t hide no more
と歌うJISOOさんをNAOKOさんが抱き起して、
誰もいないなら私が fly high
多少の傷ならもう I’m alright
今から行くから心配いらない
一緒に前に歩いていく2人の演出が。
これまでの過程を詰め込んだようでファンは無事に涙腺崩壊しました!
仲間の存在とプロデューサーであるちゃんみなさんの導きがあったからこそ、再び“楽しんで歌う”という気持ちを取り戻せたのです。
③夢を追い続けるすべての人へのメッセージ
JISOOさんはインタビューで「夢を追いかけている人たちに伝えたいこと」として、「できるまでやればできる」と強く繰り返していました。
この言葉は、一度諦めかけたJISOOさんの言葉だからこそ、重みがありますよね。
夢を追う道のりには失敗も不安もたくさんあるけれど、“諦めない限り、終わらない”という真実を、JISOOさんは身をもって示してくれています。
自分自身を信じること、そして何より“続けること”の大切さを、JISOOさんの歩みは教えてくれます。
今この瞬間、夢の途中でつまずいている人にとって、まさに希望の存在になっているのではないでしょうか。
まとめ|“最後の挑戦”を選んだJISOOの覚悟と未来
JISOOさんは、音楽を心から楽しめなくなるほど自分を追い詰めながらも、音楽への愛を捨てきれずに再び立ち上がりました。
完璧を求め続けた日々、年齢という現実の壁、心の調子を崩した2023年などの苦労を乗り越えて、2025年に日本の地で「HANA」としてのデビューを勝ち取ります。
ポイント | 詳細リンク |
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活動名・読み方 | ①活動名・本名・読み方 |
YG練習生説 | ①元YG所属の噂が出たきっかけ |
練習生時代の苦悩 | ②2年間の練習生生活と葛藤 |
心の不調と回復 | ③NYで見つけた「誰も私を気にしていない」自由 |
年齢と挑戦 | ④HANAで再起を果たしたジスの意志 |
JISOOさんが放った「できるまでやればできる」という言葉は、今の時代を生きる私たちへのメッセージでもあります。
失敗しても、年齢を重ねても、心が折れても──夢に向かって歩み続けることは、必ず誰かの心に響く。
これからのJISOOさんが、HANAの中でどんな表現を見せてくれるのか、そしてどんな未来を切り拓いていくのか。
そのすべてに注目していきたいですね。
※HANAの公式プロフィールや最新の活動情報は、HANA公式サイトをご覧ください。
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